日立のおばちゃんが亡くなった |
そういえば 日立のおばちゃんが亡くなったと 長兄のShigeから電話があった。 おばちゃんは父ちゃんの妹なのだけれど 父ちゃんは僕ら兄妹と同じ4人兄妹で 上に男ふたりがいて 父ちゃんは僕と同じ三男で 下が妹のおばちゃんだった。 〝はつ〟というのがおばさんの名前だが 昔から日立のおばちゃんと言ってたから 未だにほかの言い方では言えない。 戦後の高度成長期に 日本を飛躍させた石炭採掘が最盛期のころ 長男と次男のふたりのオジさんたちは 北茨城の常磐炭坑で働いていた。 日立にも昔は炭坑があって水戸の一本松の丘からも 日立炭坑のでっかい煙突が見えたものだ。 日立のおじちゃんたちも炭坑で働いてた気がするし 若い頃は父ちゃんも日立の炭坑にいたと聞いた気がする。 夏になるとお盆で本家である我が家に来た親戚が帰ると それについて北茨城の炭坑の町へ一緒についていったのだ。 オジさんたちの住んでいた炭坑の町はまさに 映画「フラ・ガール」のあの炭坑の町そのものだったっけ。 日立のおばちゃんは まさに日立に住んでいて神峰公園も近かった 子供ながらに近所のラジオ体操やプールとか連れていってもらったっけ。 おばさんのところも 4人の子供(僕にとっては従妹たち)がいて 僕とかと違ってみんな頭のいい秀才ばかりで 夏休みでも必死に勉強するみんなを横目に 僕だけ閑そうに感じてた記憶もある。 そんなオバさんとも夏休みくらいしか会えなかったし 僕が東京に出てしばらくしたとき いろいろあって北小金の木造アパートで オバさんの子供で従兄弟のヒロアキと上下で住んでた時代があった。 そんなとき一度だけオバさんが来た事があったっけ。 あとは最後に見たのは 父ちゃんの夏の入盆に来てくれた時まで数えるくらいしか おばさんと会うことはなかった。 近年会うごとに老けていったのだけは記憶にあたらしい。 北茨城の好子おばさんや千葉のゆき子おばさんのように いつも笑顔で饒舌な感じではなかったし もの静かで大人しいインテリ系なおばさんだったので 心の奥底までは入り込めなかったけれど 若い頃に丸いメガネをかけた 和服の女学生姿の古いモノクロ写真のおばさんと 酒を勧められて飲む時は コップ酒に注がれた日本酒に白糖を何倍も入れて 甘くしながら飲んでいた姿はお茶目に感じたなぁ。 これで…父ちゃんの兄妹はみんな亡くなってしまった。 ご冥福をお祈りいたします。 2017.10.17-火曜日 |
by 77wings
| 2017-10-18 09:34
| 風の戯言
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